今回は、フラナリー・オコナー全短編を解説します。
代表作『善人はなかなかいない』から名言まで、彼女の作品と人柄を紹介していきます。
フラナリー・オコナーは、どうして日本ではあまり有名じゃないのか不思議なくらいに、魅力的な作家です。
彼女の代表作である『善人はなかなかいない』は、フラナリー・オコナー全短編(上)で読むことができます。
『善人はなかなかいない―フラナリー・オコナー作品集 単行本 – 1998/5』を買っても、『善人はなかなかいない』は読むこともできますが、こちらは2017年12月30日の時点で、21000円と滅茶苦茶に高額です(^_^;)
なので、最初にフラナリー・オコナーの代表作に触れてみたい、という人は、まずはフラナリー・オコナー全短編(上)から読んでみるといいのではないでしょうか。
こちらも、通常の小説と比較すれば高額ですが、↑の『善人はなかなかいない―フラナリー・オコナー作品集』と比べれば、10分の1くらいの価格で求めることができます。
フラナリー・オコナーとは
(出典:wikipedia)
名前:フラナリー・オコナー(Flannery O’Connor)
生まれ:アメリカのジョージア州
経歴:25歳で難病となり、39歳で亡くなるまで執筆と治療の生活をしていた。
フラナリー・オコナーは、ウィリアム・フォークナーのようにアメリカの南部ゴシックの代表的な書き手です。
アメリカ南部を舞台にしたキリスト教色が濃い作品を書いています。
ですが、とても洞察力のある作家なので、宗教色が強い作風というよりは、普遍的な人間について描かれているのが特徴です。
日本でも短編の名手として有名で、ユーモアと暴力と殺人が同居している奇妙な味わいに熱烈なファンがいます。
フラナリー・オコナーの作風
フラナリー・オコナーの作風は、↑でも軽く触れましたが、ユーモアと暴力と殺人が同居した不思議な作品です。
ジャンルとしては、南部ゴシックに分類されます。
文体は柔らかいです。
フラナリー・オコナー全短編(上)の翻訳をしている横山貞子さんの訳し方が上手なせいか、とても読みやすいです。
翻訳された小説って、読めたものじゃないものと、とても読みやすいものと別れていますが、これは翻訳者が上手いせいなのか、それとも、元々の文章が上手なのか、どっちなんでしょう。
とにかく、繰り返しの読み込みに耐える文体と内容です。
小説は、ぼくはそれがすべてだと思います。
何度も、人生のお供として読める物語であるかどうか。
フラナリー・オコナーは、ぼくにとって、まちがいなく、そういう作家です。
人間の内面の掘り下げが卓越しており、物語や人物描写もとてもリアリティがあります。
それから、普通の南部の暮らしを描いているのかと思いきや、いきなり出現する暴力的な描写。
急に転調する物語は、スパイスやエッジの効いた物語が好きな人にはたまらないものでしょう。
フラナリー・オコナーの名言
ここには、フラナリー・オコナーの名言をまとめてみます。
『南部人の作家として、私は自分の知っている土地の言葉と生活習慣をもとに書く。だが私は南部について書いているとは考えない。
広島に落ちた原爆は、ジョージアの農村生活に対する私の判断に影響するのである。』
出典:フラナリー・オコナー全短編(上)の帯
『おやじはおれのことを、子供たちの仲でもひとりだけ別だって言ってたな。『人生に疑問をもたずに一生すごす人もいれば、なぜ人生がこうなのか、わけを知りたがる人もいるもんだ。この子は知りたがるほうの仲間だな。なんにでも首を突っ込みたがる』
出典;フラナリー・オコナー全短編(上) 善人はなかなかいない
いや、奥さん。犯罪のほうが問題じゃないんだ、人殺しでも、タイヤをはずして盗んでも、なにをしようとね。どうせおそかれ早かれ、自分のしたことは忘れてしまって、ただ罰を受けるだけになるんだ。
出典;フラナリー・オコナー全短編(上) 善人はなかなかいない
『死人をよみがえらせたのはイエス・キリストだけだよな。そんなことはしないほうがよかった。イエスはあらゆるものの釣り合いを取っぱらったんだ。イエスが言ったとおりのことをやったとすれば、おれたちはすべてを投げ出してイエスに従うほかない。もし、イエスが言ったとおりのことをやらなかったとすれば、おれたちとしては、残されたわずかな時間を、せいぜいしたいほうだいやって楽しむしかないだろう――殺しとか、放火とか、その他もろもろの悪事を。悪事だけが楽しみさ』
出典;フラナリー・オコナー全短編(上) 善人はなかなかいない
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